毎日そばにいるのに、見えていなかった子どもの変化
後回しにしていたつもりはない。それでも、見落としていた時間があった。
毎日一緒にいるのだから、子どものことは見えていると思っていました。
けれど、パソコンを閉じて一緒に過ごした週末、彼らにはわたしの知らない表情や変化がいくつもあったんです。
そばにいることと、目を向けることは、同じではなかったのかもしれないとその時気づきました。
この週末、わたしはパソコンを開く時間をできるだけ減らして、子どもたちと過ごすことにしていたんです。
子どもが「ゲームを一緒にやりたい」と言えば参加する。
「出かけたい」と言えば、できる範囲で出かける。
話していることに耳を傾けて、何を見ているのか、どんな表情をしているのかを、いつもより意識して見る。
特別なことをしたわけではありません。
ただ、いつもならパソコンやスマホに向いていた意識を、少しだけ目の前に戻してみました。
きっかけは、夫とのやりとり。
その中でわたしは、「子どもがいる時間は、子どもを優先する」と伝えていたんです。
だから今回は、それを言葉だけで終わらせず、実際にやってみたらいろいろな気づきがありました。
楽しいはずのことが、いつの間にか義務になっていた
子どもとの時間を優先すると、自然とSNSから少し離れることになりました。
投稿を考える時間も、反応を確認する時間も減りました。
減ったなんてもんじゃない。もはや遠い国の出来事級。
そこで最初に感じたのは、
「なんだか、気楽だな」
ということでした。
SNSは、誰かに強制されて始めたものではありません。
伝えたいことがあって、楽しいから続けてたんです。
嫌々やっていたわけでも、もちろんない。
自分では、そこまで負担になっているつもりも欠片もありませんでした。
けれど、楽しく始めたことでも、続けているうちに少しずつ、
「今日も投稿しなければ」
「反応を見なければ」
「止めてはいけない」
という気持ちが混ざっていたのかもしれないと、ふと思いました。
楽しい気持ちと義務感は、どちらか一方だけが存在するわけではなくて。
楽しみながら、同時に追われてもいる。
好きだから続けたいのに、続けているうちにやめにくくなる。
ここ、という線引きがあいまいになる感じ。
そんなことは、きっと珍しくないんだろうなとと思います。
しかも、その義務感はとても静かです。
まるで忍び寄る猫のように気づかない。
苦しいと感じるわけではないから、自分でもなかなか気づけないし気づかないんですよね。
今回、パソコンを開かない時間を増やしたことで、わたしは初めて、その小さな義務感に気づきました。
「いつもそばにいる」から、見えていると思っていた
子どもたちは、毎日家にいます。
朝も会うし、夜も会う。
ごはんを作り、着替えを手伝い、宿題を見て、話も聞いています。
だから、子どものことはそれなりに見ているつもりでした。
けれど、この週末にいつもよりゆっくり関わってみると、知らなかったことがいくつもありました。
こんな遊び方をするようになってる。
こういうときには、こんな行動を取るんだ。
前はできなかったことが、いつの間にかできるようになっている。
こんなことを考えて、こんな言葉を使うようになったんだ。
毎日会っているからこそ、大きな変化は見逃さないと、そう思いこんでいました。
でも、子どもの成長は、ある日突然起きるものではなくて。
毎日の中で、ほんの少しずつ変わっています。
その小さな変化は、ただそばにいるだけでは見えなくて、自分から見ようとしないと見えないことがある。
同じ空間にいることと、その人を見ていることは、違うものなのだと体感しました。
後回しにしているつもりはなかった
わたしは、子どもたちを大切にしていないつもりはありませんでした。
わたしなりに大切に思い、関わっている。
SNSのほうが大事だと思っていたわけでもありません。
たしかに、楽しいからと気が向いていたのは否めないですが。
子どもたちはいつでも家にいる。
また後で話せる。
明日も会える。
そんな安心感の中で、知らないうちに「後でもいい存在」にしてしまっていた部分があったのかもしれない。
大切ではないから後回しになるのではなくて。
いつもそばにいてくれると思っているから、後回しになる。
家族の中では、そんなことが起こりやすいと思いました。
仕事やSNSには締め切りがあります。
通知も来ます。
今やらなければならない理由が、目に見えるんですよね。
一方で、子どもとの時間には締め切りが書かれていません。
「今日、一緒に遊べるのは今日までです」
そんな通知が届くこともありません。
けれど、本当は同じ一日は二度と来ない。
今の年齢の子どもと、今の話し方で話し、今好きな遊びを一緒にできる時間は、静かに過ぎていきます。
そのことに、わたしは少し離れてみて、ようやく気づきました。
しばらく、目の前の時間を優先してみる
SNSをやめようと思ったわけではないんです。
発信したいことも、届けたい相手もいます。
書くことは、これからも続けていきます。
ただ、今は少しだけ、パソコンを開く前に目の前を見てみようと思います。
子どもは今、何をしているのか。
どんな顔をしているのか。
何を話したそうにしているのか。
一緒に過ごせる時間があるなら、まずはそこに身を置いてみる。
そのうえで、残った時間にパソコンを開く。
しばらくは、そんな順番で過ごしてみようと思います。
発信を多少なりとも止めることへの不安が、まったくないわけではありません。
少し休んだら、忘れられるかもしれない。
投稿しなければ、流れが止まるかもしれない。
そんな気持ちもあります。
けれど、少し離れたからこそ見えたものがありました。
子どもたちの小さな変化。
自分の中にあった静かな義務感。
そして、何もしなくても一緒に過ごせる時間の気楽さ。
もしかすると、書くためには、書かない時間も必要なのかもしれません。
目の前の人をちゃんと見る時間があるからこそ、あとで書けることもある。
パソコンを閉じた週末に見えたものを、今度は忘れないようにしたいと思います。
みなさんにも、
「毎日そばにいるから見えていると思っていたけれど、実は知らなかった」
と気づいた瞬間はありますか。
よければ、コメントやNotesで教えていただけると嬉しいです。




灯台下暗し、という言葉
けっこう有名なのに、意外とこの通りのことって多いきがする
SNSは、開かない日がないくらい
私達の身近になりすぎていて、
家族や恋人の電話番号すら覚えていない人も少なくないのかも
でも、ふと思うことがある
今SNSを見ているこの時間、
SNSが普及する前は何に使われていたんだろう
きっと、ぼーっとしたり、目の前のリアルな景色や声を自然と受け取っていた
ももとさんが週末に見つけた「子どもたちの小さな変化」も、まさにそこにあったものなって
一番近くにあるものほど、見ようとしないと見えない
あらためてそう感じました
そしてこれは、子どもたちだけじゃなく、
ご自身のことも含まれているのかも
日曜の夜の配信で、
ももとさんがいつもよりちょっとお酒がまわってたのかな?
その様子が少しだけ気になりました
子どもをしっかり見ようとした分、
自分がふっと一息つく時間が、どこかでなくなってしまったのかな、なんて
両立って難しいですよね
子どもを第一に、はもちろん正しい
それでも、ももとさんご自身にも、
ときどき目を向けてあげてほしいなと思いました(何様だ笑)