これだけは譲れないわたしの子育て。
子どもを“わたしの延長”にしないこと
こんにちは、ももとです。
今日は、わたしの子育ての中で
「これだけは忘れたくない」と思っていることについて書いてみます。
きっかけは、Substackでつながったちなみさんとの相棒執筆でした。
ちなみさんとやり取りをする中で、
「自分の中にある、子育ての軸って何だろう」
と改めて考える時間がありました。
こちらは、ちなみさんの記事です👇
ちなみさんの文章には、
「愛していること」と
「子どもの人生を自分のものにしないこと」は違う、
という大切な軸が書かれています。
親子であっても、別の人間。
大切だからこそ、一人の人として尊重する。
その考え方に、わたしも深くうなずく部分がありました。
わたしの中で、子育てをするうえで
ひとつだけ「ここには戻ってきたい」と思っている軸があります。
それは、
子どもには子どもの人生がある。
親の理想で、全部を動かそうとしない。
ということ。
当たり前のことのように聞こえますよね。
子どもは子ども。
わたしはわたし。
頭では、もちろんわかっています。
でも、実際に子育てをしていると、
いつの間にか子どものことを
「わたしの延長」のように見てしまうことがあるんです。
むしろ、めっちゃあります。
子どもが忘れ物をする。
宿題を後回しにする。
習い事を嫌がる。
人前でうまくできない。
そんな時、親のほうが焦りません?そわそわするというか。
「わたしの声かけが足りなかった?」
「ちゃんと見ていなかったから?」
「親として、もっと管理しなきゃいけない?」
子どもの失敗なのに、
なぜか自分の失敗のように感じてしまう。
でも、そのたびに、”ちょっと待って”って。
本当に今、わたしが動かすこと?
これは、この子が経験してもいいこと?
わたしは子どもを見ている?
それとも、自分の不安を見ている?
子どものためと言いながら、
実はわたし自身が安心したくて、
子どもを動かそうとしていないかな、と。
ちゃんと育てている親だと思われたい。
この子が困らないようにしたい。
周りから何か言われたくない。
親として見過ごしてはいけない気がする。
そういう不安が、わたしの中にあるんだと思います。
でも、子どもはわたしではない別の存在。
子どもの忘れ物は、わたしの忘れ物ではない。
子どもの失敗は、わたしの失敗ではない。
子どもの迷いは、わたしの迷いではない。
子どもの人生は、わたしの人生ではない。
もちろん、親として助けることはあります。
安全に関わること。
人を傷つけること。
年齢的に、まだ手助けが必要なこと。
そこは、関わる必要があると思っています。
でも、それ以外のことまで全部
親の理想通りに動かそうとしなくてもいいんじゃない?
そう思うようになりました。
失敗すること。
迷うこと。
恥ずかしい思いをすること。
自分で気づくこと。
あとから「ああすればよかった」と思うこと。
それも、この子の人生の中にある
大事な経験なんですよね。
親が先回りして全部を整えてしまったら、
失敗は減るかもしれません。
でもその分、
自分で考える機会まで奪ってしまうのかもしれない。
だから、わたしが目指したいのは、
手を出しすぎず、でも見捨てないこと。
忘れ物をしそうなら、最初は一緒に確認する。
でも、少しずつ本人に渡していく。
宿題を後回しにしていたら、怒鳴る前に
「いつやる予定?」
「今どこで止まってる?」
と聞いてみる。
習い事を嫌がったら、すぐに
「じゃあ辞めなさい」
にしないで、
「何が嫌だった?」
「行くことが嫌なの?それとも今やめるのが嫌なの?」
と、少し分けて聞いてみる。
もちろん、毎回そんなふうにできるわけではありません。
むりすぎる。
わたしも焦るし、口を出しすぎる日もあります。
あとから「あれは言いすぎたな」と反省することもあります。
ありまくりです。
それでも、戻ってきたい軸がある。
この子は、わたしとは違う人。
この子には、この子の感じ方がある。
この子には、この子のペースがある。
この子には、この子の人生がある。
親には、どうしても理想がありますよね。
こう育ってほしい。
困らないようにしてほしい。
人に好かれてほしい。
ちゃんと自立してほしい。
その願い自体は、悪いものではないと思うんです。
子どもを大切に思っているからこそ、心配になる。
愛しているからこそ、先回りしたくなる。
守りたいからこそ、口を出したくなる。
でも、その理想や心配が強くなりすぎると、
子どもを自分の型にはめようとしてしまう。
親が思う正解と、
子どもがこれから見つけていく正解は、
違うかもしれない。
親が避けさせたい失敗の中に、
子どもにとって必要な学びがあるかもしれない。
だから、わたしの理想で全部を動かそうとしない。
子どもには子どもの人生がある。
ちなみさんの記事を読んだ時、
この感覚がすごく重なりました。
愛していることと、
子どもの人生を自分のものにすることは違う。
大切だからこそ、近づきすぎない。
守りたいからこそ、一人の人として尊重する。
親子であっても、それぞれの人生がある。
わたしも、そこを忘れたくないなと思いました。
子どものことは、もちろん大切です。
でも、子どもの人生を全部わたしが背負うことはできない。
そして、わたしの人生を子どもに背負わせることもしたくない。
わたしはわたしの人生を生きる。
子どもは子どもの人生を生きる。
そのうえで、親子として関わり合っていく。
手を出しすぎず、でも見捨てずに。
正そうとしすぎず、でもそばにはいて。
支配するのではなく、信じる。
放置するのではなく、見守る。
その距離感は、きっとずっと難しいです。
だからこそ、その都度、立ち止まりながら考えていきたい。
今これは、わたしの不安なのか。
それとも、この子に本当に必要な手助けなのか。
完璧にはできなくても、問い直すことはできる。
子どもを「わたしの延長」にしない。
これが、わたしの子育てで
これだけは譲れない一本の軸です。
わたしはまだまだ口を出すし、焦るし、心配もします。
でも、何度でもここに戻ってきたい。
子どもはわたしではない。
子どもの人生は、子どものもの。
愛しているからこそ、
一人の人として尊重する。
それを、これからも忘れずにいたいです。









ももとさん
子どもも一人の人として尊重して向き合いたい
そう思っても、子どもと自分の境界線が曖昧になってしまい、こちらがモヤモヤ🌀
けれど、やっぱりママが笑顔でいること。
それが1番大切で子どもにとっても特別なことと思ってます☺️
うぅ。目の前が滲んでコメントが打ちづらい😭
ももとさん、初めまして✨子育て真っ只中の方々にまさにバイブルになる記事だと感銘を受けながら拝読しました🥰・・・もう社会人になってしまった娘を持つ母より(笑)