「嫌なら辞めなさい」の前に、子どもは何を嫌がっているのか見てみる
こんにちは、ももとです。
今日は、子どもが「嫌だ」と言ったときの話を書いてみたいと思います。
子どもが習い事や予定の前に、
「行きたくない」
「やりたくない」
「嫌だ」
と言い出すことってありませんか?
うちは結構な確率であります。
そういうとき、以前のわたしはすぐに反応していました。
「嫌なら辞めなさい」
「やるって決めたんでしょ」
「そんなこと言うなら、もうやらなくていい」
そんな言葉が、反射的に出てしまうことがありました。
でも最近、少しずつ思うようになったんです。
子どもが言っている「嫌だ」は、
本当にその習い事そのものが嫌だ、という意味なのかなって。
「行きたくない」の理由は、そこじゃなかった
この前、合気道に行く直前のことです。
出発の直前まで、子どもがRobloxをしていました。
ちょうど楽しくなってきたところだったんだと思います。
ゲームの中で何かが進んでいたのか、盛り上がっていたのか、とにかく本人としては「今やめたくない」というタイミングだったんですよね。
でも、時間は来ます。
「そろそろ合気道に行くよ」
そう声をかけると、子どもは言いました。
「嫌だ。行きたくない」
この言葉だけを聞くと、親としてはつい思ってしまいます。
え、合気道が嫌なの?
だったら、もう辞める?
行きたくないなら、何のためにやってるの?
そんなふうに、一気に話が大きくなってしまうんですよね。
でも、よく見てみると、子どもが嫌がっていたのは「合気道」そのものではありませんでした。
本当は、
「合気道に行きたくない」
ではなく、
「今やっているRobloxをやめたくない」
だったんです。
ここを見間違えると、親子の会話は一気にこじれます。
子どもは「今これを続けたい」と言っているだけなのに、親は「習い事を続けるか辞めるか」という話にしてしまう。
すると、子どもからすると、
「そんな話をしているんじゃない」
という状態になるんですよね。
でも、子どもはそこまで言葉にできません。
だから「嫌だ」「行きたくない」になる。
そして親は、その言葉に反応して怒る。
ここで、すれ違いが起きるんだと思います。
「嫌なら辞めなさい」は、話を終わらせる言葉だった
「嫌なら辞めなさい」
この言葉って、親としては正論のように感じることがあります。
嫌なら無理に続けなくてもいい。
やる気がないなら意味がない。
中途半端にするくらいなら、やめたほうがいい。
そんな気持ちもあります。
でも、子どもが本当に言いたかったことが別にあるとき、この言葉は少し強すぎるんですよね。
「嫌なら辞めなさい」と言われた瞬間、子どもはもうそれ以上話せなくなります。
本当は、
「ゲームを途中でやめるのが嫌だった」
「もう少しだけやりたかった」
「気持ちの切り替えができなかった」
「今、楽しいところだった」
そんな理由があったのかもしれません。
でも、親がいきなり「辞める・辞めない」の話にしてしまうと、そこにはたどり着けません。
子どもの「嫌だ」の奥にあるものを見る前に、話が終わってしまうんです。
オンライン習い事でも、同じことがありました
似たようなことは、オンラインの習い事でもありました。
順番が入れ替わったことが嫌で、子どもがぐずり出したことがあったんです。
そのときも、親としてはついイライラします。
せっかく習っているのに。
ちゃんと参加してほしいのに。
そんなことでぐずらないでほしいのに。
そう思っているうちに、
「そんなに嫌なら辞めたら?」
と言いたくなってしまう。
でも、ここでも子どもが嫌だったのは、習い事そのものではありませんでした。
嫌だったのは、順番が入れ替わったこと。
自分の中で思っていた流れが崩れたこと。
予定していたものと違ったこと。
そこだったんですよね。
子どもは「習い事が嫌」と言っているのではなく、
「順番が変わったのが嫌」と言っている。
でも親は、つい大きな話にしてしまう。
ここでも、論点がずれていたんだと思います。
子どもの言葉を、そのまま結論にしない
子どもの「嫌だ」は、まだ途中の言葉なのかもしれません。
大人だってありますよね。
「もう嫌だ」
「行きたくない」
「やめたい」
そう言っているとき、本当に全部を投げ出したいわけではなくて、
疲れているだけだったり、
今だけ気持ちが追いついていなかったり、
別のことに引っかかっていたりする。
でも大人は、あとから少し整理できます。
「本当は仕事が嫌なんじゃなくて、あの人とのやり取りがしんどかったんだな」
「出かけるのが嫌なんじゃなくて、準備が面倒だったんだな」
「全部が嫌なんじゃなくて、ひとつだけ引っかかっていたんだな」
そんなふうに、自分で言葉にできることがあります。
でも子どもは、まだそこまで分けられないことが多いです。
だから、全部まとめて「嫌だ」になる。
その「嫌だ」を、親がそのまま結論にしてしまうと、子どもの本当の困りごとが見えなくなってしまうのかもしれません。
まずは「そっか、嫌なんだね」で止まってみる
もちろん、毎回できるわけではありません。
時間がない朝。
出発直前。
こっちも疲れているとき。
そんなときに、丁寧に聞くなんて無理な日もあります。
わたしも今でも、反射的に言い返してしまうことはあります。
でも、少し余裕があるときは、まず一回だけ止まってみるようにしています。
「そっか、行きたくないんだね」
「今、やめたくなかったんだね」
「順番が変わったのが嫌だったんだね」
こんなふうに、子どもの言葉をいったん受け止める。
それだけで、少し空気が変わったりします。
不思議なんですけど、こちらがすぐに否定しないだけで、子どもも少し落ち着くことがありませんか?
「行かなくていいよ」と言っているわけではありません。
「辞めてもいいよ」と言っているわけでもありません。
ただ、
「あなたが今、嫌だと思っていることは聞いたよ」
と伝える感じです。
そのあとで、
「じゃあ、あと何分で終われそう?」
「どこまでやったら切り替えられそう?」
「合気道に行く時間は決まっているけど、どうしたら行けそう?」
と聞いてみる。
そうすると、怒鳴って動かすよりも、少しだけ話し合いに近づくことがあります。
見る場所が変わると、怒り方も変わる
わたしが最近思うのは、怒ってしまうときって、見る場所がずれていることが多いということです。
子どもは、
「今やっていることをやめたくない」
と言っているのに、親は、
「習い事を続ける気があるのか」
を見ている。
子どもは、
「順番が変わって嫌だった」
と言っているのに、親は、
「そんなことでぐずるなんて」
を見ている。
子どもは、
「気持ちの切り替えができない」
で困っているのに、親は、
「わがままを言っている」
と受け取っている。
こうなると、怒りがどんどん大きくなります。
でも、見る場所を少し変えると、
「あ、今この子は、習い事が嫌なんじゃないのかも」
「予定が変わって混乱しているだけかも」
「終わり方がわからなくて困っているのかも」
と思えることがあります。
そう思えた瞬間、怒りがゼロにはならなくても、少しだけ言葉を選べることがあるんですよね。
今日からできる小さな一歩
子どもが「嫌だ」と言ったとき。
すぐに、
「じゃあ辞めなさい」
「もう知らない」
「ちゃんとしなさい」
と言う前に、心の中で一回だけ聞いてみる。
この子は、何を嫌がっているんだろう?
習い事そのものなのか。
今していることをやめることなのか。
順番が変わったことなのか。
準備が面倒なのか。
疲れているのか。
気持ちの切り替えができないのか。
ここを少し見てみるだけで、声のかけ方は変わるのかもしれません。
もちろん、毎回うまくいかなくていいと思います。
わたしも、いつも穏やかに聞けるわけではありません。
でも、あとからでも、
「あのとき、本当は何が嫌だったんだろう」
と考えられたら、それだけでも次につながる気がしています。
子どもの「嫌だ」は、わがままの証拠ではなくて、まだ言葉になっていない困りごとなのかもしれません。
そう思える日が、少しずつ増えたらいいなと思っています。




ももちゃん、これは親にとって永遠の課題かも😭
長女がいつも宿題やらずに漫画読んでるので、最初は優しく、"そろそろやるよー"みたいに声掛けるんですが、全然動いてくれなくて、だんだんこちらも口調が強くなる。宿題やるよーに対して嫌だとは言わず、うーんと生返事なんです。だからこっちも口調を強くしたりして怒ってることを伝えようとしてしまう。それでいつも後悔してます。
こちらが怒れば向こうも殻に籠もってしまう。次はアプローチを変えてみます。
時に泣きながら宿題してる娘を見るのも辛い😭
母ちゃんは、偉大だ。
本当にそれに尽きる。
ももちゃが、
お子さんに、
向き合おうとして
しっかり受け止めてるの
めちゃくちゃすげえ。
素敵だ(๑′ᴗ‵๑)