先回りが苦しいのではなく、未来の感情まで背負っていた
未来に備えることと、まだ起きていない大変さまで背負うことは、少し違うのかもしれない。
子どもが不機嫌になりそうな気配を感じると、
まだ何も起きていないのに、こちらまで疲れてしまうことがあります。
わたしも、子どもが泣く前から、そのあとの大変さまで背負っていました。
先日、
「まだ何も起きていないのに、子どもの不機嫌を先回りしていた」
という記事を書きました。
夫と長男、長女が外食に行くことになり、次男だけが家に残ることになった日の話です。
その話を聞いた瞬間、わたしは思いました。
「絶対、泣くやん」
「このあと大変になるやん」
「誰が対応するの?」
まだ次男は泣いてもいないのに、
わたしの中ではもう、このあとの不機嫌まで始まっていました。
そして実際、次男は泣きました。
でも、好きなお菓子をひとつ買うことにしたら、思っていたよりあっさりご機嫌になったんです。
そのとき、
「不機嫌になったらどうしよう」ではなく、
「不機嫌になったら、どうしようか」
と考えてみてもいいのかもしれない。
そんなことを、以前の記事に書きました。
すると、いろいろなリアクションをいただいて。
読んでいるうちに、もう少し考えてみたくなりました。
そもそも、
「先回りすること」って、本当に悪いことなんだろうか。
先回りしないと、回らないこともある
子育てをしていると、先回りすることはたくさんあります。
「今日は暑そうだから、水筒を多めに持っていこう」
「帰りが遅くなりそうだから、夕飯を準備しておこう」
「このあと疲れそうだから、早めに帰れるようにしておこう」
どれも、まだ起きていない未来を考えています。
でも、こういう先回りには、むしろ助けられています。
毎日の生活を回すために、必要なことも多い。
だったら、
先回りすること自体が、わたしを苦しくしていたわけではないのかもしれません。
では、あのときのわたしは、何をそんなに先回りしていたんだろう。
今回の出来事なら、
「次男は行きたくて泣くかもしれない」
ここまでは予測です。
でも、その先で、
「ずっと不機嫌だったらどうしよう」
「何を言っても納得しなかったら?」
「またわたしが対応するの?」
と、頭の中ではどんどん先へ進んでいました。
まだ何も起きていないのに、
これから起きるかもしれない「面倒」や「疲れる」や「嫌だ」まで、
今のわたしが先に感じている。
未来を考えて準備していたというより、
未来の不快を、先に背負っていた。
たぶん、わたしを苦しくしていたのは、こっちだったんだと思います。
準備はする。でも、感情までは先取りしない
記事へのリアクションを読んでいて、
わたしの中で少し整理できました。
未来を想像して、
「じゃあ、どうしておこう?」
と考えるのは、準備。
でも、
「絶対グズる」
「また面倒なことになる」
「どうせわたしが対応する」
と、まだ起きていない不機嫌に、わたしまでイライラし始めるのは、
感情まで先取りしている。
だったら、
未来には備える。
でも、未来の感情までは背負わない。
できる準備があればしておく。
そのあとは、いったん今に戻る。
不機嫌にならなかったら、それでいい。
本当に何か起きたら、そのとき考える。
いただいたリアクションの中に、
「その時考えればいい」と思えるだけで救われる気がします。
起きてもいない大変さを、一人で背負わなくていいんだと思えました。
という言葉がありました。
これを読んで、わたしも少し肩の力が抜けました。
「そのとき考えればいい」は、
何も考えなくていいということではなくて。
全部を今決めなくてもいい。
まだ起きていない大変さまで、今のわたしが一人で背負わなくてもいい。
ということなのだと思います。
でも、「子どもの感情だから」で終わるのも違う
もうひとつ、リアクションを読んで考えたことがありました。
子どもが不機嫌になる。
それにつられて、わたしまで不機嫌になる。
そんなとき、
「これは子どもの感情」
「わたしの感情とは別」
と分けて考えることは、今のわたしにとって大切です。
でも、
「子どもの感情だから、わたしには関係ない」
ということではないんですよね。
次男は、自分だけ外食に行けなくて悲しかった。
そりゃ、嫌だったと思います。
「行きたかったよね」
「自分だけ行けないの、嫌だったよね」
その気持ちは受け取っていい。
一緒にいることもできる。
ただ、
わたしまで同じ不機嫌を背負う必要はない。
子どもの感情と自分の感情を分けることは、
子どもの気持ちから離れることではないのだと思います。
一緒にいる形は、ひとつではない
子どもが悲しんでいるなら、
気持ちが落ち着くまで、ずっと付き合った方がいいのかな。
そんなふうに考えることもあります。
でも正直、
いつまでも不機嫌でいられると、こちらも疲れます。
「子どもの気持ちに寄り添わないと」と思って、
親が限界になるまで付き合い続ける。
それも、少し違う気がしています。
今回、お菓子を買ったのも、
「泣かないで。お菓子をあげるから」
と、気持ちを消そうとしたわけではありません。
みんなは外食に行く。
でも、次男だけは行けない。
だったら、
「わたしたちは、好きなお菓子を買おうか」
と、次男にも別の楽しみを作ることにしました。
話を聞くこと。
抱っこすること。
しばらく隣にいること。
本人に「どうしたい?」と聞くこと。
一緒に別の楽しみを探すこと。
一緒にいる形は、ひとつではありません。
不機嫌を直すより、このあとを一緒に考える
以前のわたしは、
子どもが不機嫌になると、
「どうしたら機嫌を直せる?」
と考えていた気がします。
早く泣き止んでほしい。
早く怒るのをやめてほしい。
早くいつもの状態に戻ってほしい。
子どものためでもあったと思います。
でも同時に、
わたし自身がその不機嫌に疲れるから、早く終わってほしかった。
今は、
「不機嫌になったら、どうしようか」
の意味が、少し変わってきています。
どうやって機嫌を直そう?
ではなく、
「嫌だったんだね。じゃあ、このあとどうしようか?」
と考える。
子どもの感情をなかったことにするのでもなく、
親が全部を背負うのでもなく、
今の子どもと、今の自分を見ながら、
そのときの親子に合う次の一歩を探していく。
わたしが探していたのは、
「こうすれば正解」という方法ではなかったのかもしれません。
「先回りしない」ではなく、「何を先回りしている?」
今回、リアクションをもらったことで、
最初に書いた記事から、わたしの考えも少し変わりました。
「先回りしない方がいい」
ではなく、
「わたしは今、何を先回りしている?」
と考えてみる。
未来に備えるための先回りなら、役に立つこともある。
でも、まだ起きていない子どもの不機嫌を想像して、
その大変さや疲れまで今から背負っているなら、
いったん置いてもいい。
できる準備をしたら、
あとは、そのとき考えればいい。
本当に何か起きたら、
子どもの気持ちは受け取る。
でも、わたしまで同じ感情になる必要はない。
そのときの子どもを見て、
そのときの自分も見て、
「じゃあ、このあとどうしようか?」
と考える。
たぶん次に同じことが起きても、
また先回りすると思います。
一緒になってイライラする日もあると思います。
それでも、
「これは準備?
それとも、まだ起きていない感情まで背負ってる?」
と、一度立ち止まれたら。
少しだけ、今に戻ってこられるのかもしれません。
みなさんにも、
まだ起きていない「このあと大変」を、
先に背負ってしまうことはありますか?
もし思い当たる場面があれば、よかったら聞かせてください。





チートンの記事にも書いたことなんですが、
事象や事実と、その時の感情は場合によって、切離すことが重要な気がします
これは感情を置いておく、無視するのとは少し違って、自分自身がその感情になるのではなく、
こういうことがあると、こういう感情になるよね
でとどめておくこと、
〇〇な感情ってこういう感情だよね、ってとこまでいかないこと
が大切なのかななんて思います
愚痴や相談事をされたとき
怒っている相手と対峙しているとき
なんかは、相手の気持ちに寄り添いつつも冷静に判断したいときは、
相手の感情を想像して、
ただし、想像が深くなりすぎないように、
その感情を字面だけ(悲しい、辛い)や色のイメージくらいにとどめる、なんてことをしています
もちろん、相手と同じ気持ちになるって
共感とかの観点だとすごく大事なことですが、
「次」を考えるためには、そういう感情の中から
必要な情報のみを抽出するのも大事なのかなって思います
自分事だとなかなかうまくいかないので、
他の人の感情で練習して
自分がそういう嫌な気持ちになりそうなときも
こういうことができたら、余裕ができるのかななんとも思います
ももとさん、初めまして。子育て一段落している、50代主婦です。
子育てを懐かしく思い出しながら拝読しました。が、この感情の扱い方は子育てだけじゃなく、私のようなオバサンにも大切なことなのではないか(笑)と気づきをいただきました。もう少し自分に置き換えて深く考えてみようと思います。素敵な記事をありがとうございました✨